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35甲府柳町~39蔦木

[ 2025/09/24~ ]

■35甲府柳町(山梨県甲府市)



[ 甲府柳町 山梨学院大学(2025 09 24)]


石和温泉駅前の交差点を過ぎ甲運橋を渡ると甲府市に入ります。 この先しばらくは旧・国道20号を甲府市街まで歩くことになります。途中に駅伝で有名になった?山梨学院大学の立派な校舎が見えてきます。 思っていたより大きなキャンパスで、沿道には系列の学校や関連する施設がちらほらあります。



[ 甲府柳町 石川家住宅(2025 09 24)]


甲府市中心部に近づき身延線ガードをくぐると街道は鈎曲がりし、江戸末期に建てられた塗籠土蔵造りの町屋石川家住宅が見えてきます。 大きな屋根をもつ重厚感のある町屋で壁や塀は黒漆喰塗だそうですが、年月を経て落ち着いた灰色になっていました。 中心部に近づくにつれ建物の密度が上がっていきますが、歴史を感じさせる街並みは残念ながらありません。
石川家住宅から1kmほど歩くと再び鈎曲がりがあります。いかにも城下町に入るぞといった感じです。 通りに面して馬刺しを扱う店があり、甲信地方を歩いているのだと勝手に感じました。



[ 甲府柳町 鈎曲がり(2025 09 24)]


この先も十字路で左折右折を繰り返し甲府市の中心部に入っていきますが、甲府市は1945(S20)年7月6日に空襲を受け市街地の7割以上が被災したので、ほとんどが戦後の建物に替わっています。 石川家住宅のように今日まで残っているのは奇跡的です。
途中に 鹿革の工芸品「印伝」で有名な印傳屋の本店が街道沿いにありますが、外観はオフィスのような構えで冷やかしで入るのは気が引ける感じのお店でした。
甲州街道と駅前から伸びる平和通りが交わる地点には、平和通りが戦災復興事業で8年をかけて造られたと記す石碑がありました。



[ 甲府柳町 平和通りの甲府駅方面(2025 09 24)]


■36韮崎宿(山梨県韮崎市)



[ 韮崎 鳳凰三山と甲斐駒ヶ岳(2025 11 08) ]


甲府駅前の平和通りから竜王駅前までは国道52号を歩きます。 荒川を渡る橋の上からは鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳がきれいに見えましたが、富士山は見えませんでした。 途中にミレーの「落穂拾い」などの展示がある山梨県立美術館前を通る道ですが、自動車販売店などが目立ち甲州街道だったことを偲ばせる風景は見当たりません。
竜王駅前を過ぎ右折すると街道だった頃の幅しかないような道になります。 山梨ナンバーの車は、運転に自信があるのか歩行者の存在を無視しているのか、結構なスピードで歩行者の脇を通り抜けていきます。
緩やかなカーブのある道ですが、中央線の踏切を渡ると急な上り坂が待ち受けています。 車では「あっと」いう間に上れますが、徒歩で上るにはきつい坂です。 急坂を上り終えると左手に展望台のある公園があり、展望台からは甲府盆地と盆地を取り囲む山々を一望することができます。坂道を上ってきたご褒美のような眺めで、しかも無料にもかかわらず展望台はガラガラでした。



[ 韮崎 庄屋だった屋敷(2025 11 08) ]


甲斐市の下今井地区に入ると、なまこ壁の蔵が点在し街道だった雰囲気を漂わせています。さらに進み塩崎駅前を過ぎるとなまこ壁の蔵が数棟ある大きな屋敷が現れます。庄屋だった家だそうで、屋敷の規模からみるとかなり裕福だったと思われます。
甲府柳町宿から韮崎宿までの道は下りもありますが大半は緩い上り坂が続きます。振り返って歩いてきた道を見ると上り坂だとわかる程度ですが、歩き続けていると脚に疲れがたまっていきます。



[ 韮崎 韮崎宿(2025 11 08) ]


googleなどの航空写真を見ると、韮崎宿は塩川と釜無川に挟まれた狭い平地にあることがわかります。 街道を北上すると韮崎市街に突き刺さるような七里岩の南端に白い韮崎観音像が見えてきます。 観音様は富士山の方角を向いて立ち、高崎と大船の観音様に並ぶ観音像だそうです。
七里岩は、約20万年前に八ヶ岳の山体崩壊による岩屑流がつくった台地が、釜無川の侵食によって形成された断崖地形で韮崎宿から蔦木宿まで約30kmに及びます。 その長さから七里岩と呼ばれています。 高さは40~150mもある断崖なので人の手がほとんど入っておらず、紅葉した樹木が断崖をきれいに彩っていました。
韮崎宿内の甲州街道は両側に歩道と街路樹のある道に拡げられ、宿場だった歴史を感じさせる建物はなく現代風な建物が並んでいます。本陣跡も石柱があるだけです。



[ 韮崎 七里岩(2025 11 08) ]


韮崎宿を出ると甲州街道は右手に七里岩を眺めながら、釜無川に沿って次の台ケ原宿へ向かいます。 台ケ原宿までは約16kmもあり途中にいくつか集落があります。 明治天皇の巡幸でも途中の韮崎市円野町で御休息しています。 御休息所は庄屋だったのでしょうか、塀に囲まれた大きなお屋敷です。
この付近も信州方面へ向けて緩やかな上り坂が続いているのが良く分かります。



■37台ケ原宿(山梨県北杜市)



[ 台ヶ原 水災紀念碑(2025 11 09) ]


韮崎宿から台ケ原宿に向かう道は、昔からの街道と国道20号になった区間とを行ったり来たりしながら進みます。 旧・甲州街道が通る武川三吹の集落の東端には、神明神社の境内に明治34年9月6日に建立された「水災紀念碑」があります。 明治31年9月に釜無川が溢れ大木や巨石が流れ下って、溺死者4名を出す水害が生じたことが記されています。 この碑は国土地理院の地図に2019年新たに設けられた自然災害伝承碑に指定されています。
普段の釜無川は流水が少なく河原の広い川ですが、川幅の広さや石積みやブロックで覆われた堤防を見ると、洪水時は激流に一変する川のようです。



[ 台ヶ原 一里塚跡(2025 11 09) ]


武川三吹の集落を出ると「旧甲州街道一里塚跡」と刻まれた小さな石碑が建っています。 田んぼと堤防の間を通るところなので、塚が残っていても不思議ではありませんが、釜無川の洪水で一里塚も消失したのでしょうか。
東海道や中山道は一里塚跡の碑がまめに建っていましたが、甲州街道ではあまり見かけません。 旧街道を示す案内も少なく、地図を片手に確認しながら歩かないと旧街道からはずれてしまいます。



[ 台ヶ原 無名の巨塔(2025 11 09) ]


釜無川に合流する尾白川を渡ると、珍しく旧街道の案内があります。 昔のままの道が残る田んぼの脇を進むと、「横山の道標」という江戸時代の道標が残っていて、旧街道らしい雰囲気が味わえる場所です。
少し進むと「無銘の巨塔」の案内が小山のふもとにあります。 階段を上ると何も刻まれていない直方体の巨石が建っています。 明治初期に日蓮宗の信徒によって運ばれた38トンもある巨石ですが、釜無川の対岸に建立する計画がとん挫しこの地に置かれたそうです。 機械のない時代に人力で切り出してここまで運ばれた巨石を眺めていると、宗教の持つ力の強さを感じます。



[ 台ヶ原 脇本陣でもあった日本酒「七賢」(2025 11 09) ]


国道20号を渡り台ケ原宿に入ります。 両脇に多くの建物が連なり古い家屋も残っているので、宿場の雰囲気が感じられる街並みです。 明治天皇の行在所にもなった日本酒「七賢」の酒蔵や、旅籠の店構えが店舗として使われている和菓子の「金精軒」など、古い木造建築が今も現役で活躍しています。
台ケ原宿は観光地としてそれなりの集客力があるようで、カフェを営むお店を数件見かけました。 近くに「道の駅はくしゅう」があるので、車を置いて散歩がてら見学もできそうです。
台ケ原宿は本陣跡、一里塚跡、立場跡などの案内がありますが、合併して北杜市になる前の白州町や地元の台ケ原区が頑張っていたようです。 合併後の北杜市は約602平方kmの広さがあり、約1000万人が住む東京23区とほぼ同じ面積ですが人口は4万人強しかいません。



[ 台ヶ原 干し柿(2025 11 09) ]


旧・甲州街道沿いの民家では、軒下に柿を吊るして干し柿をつくっている様子を時折見かけます。 地味な色合いの軒下に吊るされたオレンジ色の柿は目立ち、思わず目を向けてしまいます。 柿を採って、皮をむき、一つずつ吊るしてと、干し柿をつくるには手間暇がかかるので、お値段が高いのも無理はありません。


■38教来石宿(山梨県北杜市)



[ 教来石 サントリー白州蒸留所入口(2025 11 09) ]


台ケ原宿を出て七里岩を眺めながら所々で国道20号になる旧・甲州街道を進ます。 教来石宿に入る手前の国道20号にサントリー工場への曲がり角を示すモニュメントがあります。 蒸留所のほか博物館もあるそうで、サントリーの天然水もここでつくられています。
街道の西側は南アルプス、東側は八ヶ岳のすそ野が広がり、そこに降った雨が時間をかけて良質な地下水となるようです。 3kmほど離れていますが、道の駅はくしゅうには南アルプスの天然水を飲める水場があり、常時水が流れていました。



[ 教来石 明治天皇小休所(2025 11 09) ]


落差工が連なっている流川を渡ると教来石宿に入りますが、宿場だった面影はなく案内板もありません。 宿場の中央部付近が国道20号にかかり大きく姿を変えてしまったようです。 国道沿いの本陣だった場所に明治天皇御小休所址の石碑がにあるので、この前後が宿場町だったと思われます。 沿道にはお店もなく飲料の自販機があるだけで、少し先にはどういうわけか熊本県の果実農業協同組合連合会の白州工場が操業しています。



[ 教来石 釜無川を望む(2025 11 09) ]


教来石宿を出ると旧・甲州街道は国道20号と並行していますが、少し上っては少し下るの繰り返しです。 高いところからは釜無川が下に見えますが、低いところは田んぼと同じような高さでなので釜無川が氾濫すると通行できなくなる地形です。 諏訪方面に近づくにつれて、右手に見える七里岩の断崖が徐々に緩やかになっていきます。



[ 教来石 山口の関所跡(2025 11 09) ]


長野県境が近くなると、山口の関所跡と書かれたステンレス製の案内柱が見えてきます。 緩やかな坂を下り田んぼが見え始めるところです。 関所は急峻な山に挟まれたところや急こう配の斜面につくられるものと思っていましたが、山口の関所は両側に平らな土地があるので抜け人を防ぐには大変な場所です。


■39蔦木(長野県諏訪郡富士見町)



[ 蔦木 国界橋(2025 11 09)]


山口の関所跡を過ぎると、甲州山梨県と信州長野県の境となる釜無川を渡る新国界橋が架かっています。 新国界橋は国道20号の橋ですが、旧・甲州街道は200mほど上流に架かっている国界橋を渡ります。
長野県側には獣除けの電気柵があるりますが、慎重にロックを外して扉を開き無事長野県に入ることができました。 ここまで来ると釜無川の水量が減り幅も狭くなります。 江戸時代はどんな橋が架かっていたのでしょうか。
国道20号を渡り両側に家屋が並ぶ急坂を上ります。 正面にお寺があり参道のようにも思える道です。
小さな沢を渡ると「蔦木宿」の案内があり、その先に「桝形道路」の石碑があります。
国道20号に並行して町道が新設された際に桝形の位置と形が変わったので、昔の形を示すために設けられた碑です。



[ 蔦木 枡形道路の碑(2025 11 09)]


国道と信濃境駅への道の角に本陣がありましたが、門だけが残り敷地には上蔦木集落センターが建っています。
宿駅制度が廃止され、鉄道駅が宿場から離れた場所にできたため蔦木宿は次第に寂れ、本陣の母屋は1907(M40)年に移築されました。 表門は別の場所に移されていましたが平成に入りこの地に復元され、現在の姿になりました。



[ 蔦木 本陣表門(2025 11 09)]


蔦木宿も教来石宿と同じように宿場の中央部が国道20号になり大きく様変わりしています。 国道沿いに旅籠風の古い建物が数件あり「甲州街道蔦木宿〇〇屋」と木札が架けられているので、往時は旅籠だったようですがいつの頃の建物なのか不明です。
現在は人が住んでいない建物もあるようで、老朽化が進んでしまった建物も見受けられました。



[ 蔦木 旅籠風建物(2025 12 20)]


諏訪寄りにも桝形跡の石碑があり、近くに「川除古木」が残っています。 信玄堤とともに釜無川の氾濫による水害から蔦木宿を守るために植えられた樹木で、1898(M31)年の洪水では大木を切り倒して洪水の向きを変え、集落を守ったそうです。
釜無川と国道20号から分かれると旧・甲州街道は勾配がきつくなり道幅も狭くなります。 いまでこそ所々に民家があり段々に整地された田畑がありますが、往時はどんな姿だったのでしょうか。
きつい坂道の途中に「とちの木風除林」があります。甲州街道に直交するように東西方向に植えられていました。 ここは江戸時代に植えられたアカマツが現在まで残っています。



[ 蔦木 とちの木風除林(2025 12 20)]


とちの木風除林を過ぎると旧・甲州街道は巨大な太陽光発電施設の敷地になっているので迂回せざるを得ません。 左手前方にスキー場が見えてきますが、暖冬のためか12月下旬でもゲレンデは枯草が見えました。





<参考資料>